和三盆とは
- 天皇陛下御買上之光栄
- 宮内庁献上之光栄
- 明治神宮全国特産物御奉献
- 重要有形民俗文化財指定第157号
- 登録有形文化財指定題37-0127〜9号
- 全国菓子大博覧会名誉総裁賞

讃岐、和三盆の来歴
砂糖は、当時日本では薩摩の黒糖しかなく、八代将軍吉宗が糖業を奨励した事により高松藩主、松平頼恭が平賀源内に命じて砂糖づくりを研究させました。
しかしサトウキビの栽培はできても、なかなか製糖法を完成させることはできませんでした。
苦心の末、「雪のように白くて味もよい、舶来品よりもすぐれている」 という評判の高い
白砂糖づくりを成功させたのは、池田玄丈の弟子、向山周慶(1747〜1819)です。
周慶の苦心を伝えるエピソードもたくさん残っています。
しかしサトウキビの栽培はできても、なかなか製糖法を完成させることはできませんでした。
苦心の末、「雪のように白くて味もよい、舶来品よりもすぐれている」 という評判の高い
白砂糖づくりを成功させたのは、池田玄丈の弟子、向山周慶(1747〜1819)です。
周慶の苦心を伝えるエピソードもたくさん残っています。
京都で知りあった薩摩から医学の勉強に来ていた学生から砂糖づくりの方法を教えてもらった話とか、また四国遍路の途中で急病にかかって苦しんでいた
薩摩の関良助を助けたところ、恩義を感じた良助が死罪を覚悟で国禁の砂糖キビの苗を持ちだし、周慶のもとへとどけ、砂糖きびが讃岐の国に根づいたと伝えられています。
周慶と良助は今も大川郡白鳥町と高松市松島町に一字づつ取って名づけられた向良神社にまつられています。
羽根さぬき本舗ー三谷製糖ー
