三谷製糖店主敬白

ごあいさつ


主人の「三谷昌司」

私どもは、今に昔ながらの手作りで和三盆をつくりつづけております数少ないお店でございます。
和三盆と申しますのは、お隣の中国、つまり唐三盆に対しまして和三盆という意味で日本で作られた砂糖ということでございます。なお三盆という意味は、盆の上で三度分蜜作業をいたしますところからその名がついたものでございます。

まあいわば、極上等の讃岐独特の手作りのお砂糖ということになりましょうか。和三盆は丹精をこめた手作りでございますので栄養分を逃がさず、あと味のよいあっさりした独特の風味が特徴で、舌ざわりも大変なめらかでございます。 和三盆は花や蝶、貝などに型抜きしたり、丸められたりして全国の 高級和菓子のお店に出荷されるほか、高級菓子の原料としても重宝されております。

大変ありがたいことには、全国の老舗の和菓子のお店が私どもの伝統産業を守り発展させるようにと「讃岐三盆糖保存会」を作られましてご支援いただいております。


 

 

 

とにかく、一度砂糖の王様、和三盆を召し上ってくださいませ。

きっとご満足いただけるものと確信いたす次第でございます。


「やっと店の看板を立てたんですよ」と「三谷製糖」の8代目、三谷昌司さんは笑う。

 

 

名を広めることを好まず、「味がよければそれでいい」という先代の友義さんと、それこそケンカをする覚悟でだ。和三盆を買いに来られるお客さんに、「場所がわかりにくい」と言われて売り手の責任として、看板を一つ立てた。

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”讃岐和三盆”・・・そう呼ばれるものを、昔ながらの製法で作っているのが、引田町にある三谷製糖である。

かつては、江戸時代の花形産業として栄え、東讃地方で営まれてきたこの和三盆作りもその歴史は、高松藩の5代藩主・松平頼恭が、領内に物産が少なく年々藩が疲弊していくことを憂い、甘蔗栽培を勧め、製糖を奨励したことに始まる。
三谷製糖では、文化元年創業以来200年間、和三盆を作り続けてきた。輸入糖に押されて苦しい時期もあった。後継者がなく、これでピリオドかと腹をくくった時もあった。そんな折、東京から戻った昌司さんが、白下糖を圧搾するプレス機を見に行った。
機械から作り出された和三盆をつまんで、「これは和三盆じゃない。」そう思ったそうだ。
その後、全国各地にある10軒の老舗の和菓子店によって「和三盆糖保存会」が結成された。そんな支援を受け、8代目が誕生。伝統は、次代へと受け継がれることになった。


三谷製糖は文化元年(1804年)の創業であるが、 これを裏付ける文書が三谷家に残っている。

この文書は砂糖製法を庄屋、坂東伝右衛門を通して藩へ願い出たものである。
「作付仕度・・・・製法之儀者、周慶伝授請候様可仕候。」とあり、「さとうきびの作付をさせてください。そして製法は向山周慶先生より お教えいただくことに します。」と前半で述べ、更に、「願相済候得者、諸事仰付之趣、堅ク相守可申候。」 つまり「お願を聞き入れていただいたなら、すべて仰せのこと(秘密)を 堅く守ります。」と誓約している。